5月17日はIDAHO(International Day Against Homophobia; 国際反ホモフォビアの日)だそうです。同性愛が精神疾患のリストから削除された日を記念して、同性愛嫌悪について考えてみようという日です。私も過去に何度かこうした問題について考えてみました。
- 嘘を付く理由: 性的少数者などが自己の性質について偽らざるを得ないという状況を踏まえて。
- 無自覚な差別: NTT Docomoが同性愛(非ポルノ)コンテンツを有害と断定していることについて
- IDAHO: 去年のIDAHO
- 私は乗り越える。私を乗り越えよ。: 差別構造の段階的解消の構造と、その中で私が果たしたい役割について
- セクシュアルタームを語るということ: 性的少数者が「性的な存在」とみなされる構造について
- 左利きの絶滅: 私の中に潜むGIDないし同性愛に対する差別意識や、もやもやとした何かについて。それを自覚するに至る思考について。
- 私的事件の垂れ流し: 人格形成においてロールモデルが不足するという問題について
いまや、日本では公的には同性愛に対する明白な侮辱行為は非難され得るような状況にまでなってきています。けれども、私的領域では依然として侮辱行為を正当化するような状況がありえます。また、既に性差別や人種差別が経験したように、公的領域で積極的差別行為が排除された後、差別は一見そうとは見えない形に潜在化します。そして……(詳しくは上記の記事あたりを読んでくださいね、っと)
異性愛者が異性愛に無自覚でいられるのはなぜなのか。BL/百合ブームは何をもたらしたのか。どうして同性愛をジェンダーパターンの問題と混同したがる人がいるのか。色々と考えてみてください。
冒頭のバナーはhttp://www.geocities.jp/keitorontako/より拝借しました。