ある社内研修の一コマだった。 私は受講対象者ではないんだけど、良く覚えていない謎の理由によりオブザーバーとして参加していた。 ちょうど講師が「重要でなく緊急でもないもの」「重要でないが緊急のもの」「重要だが緊急でないもの」「重要で緊急のもの」って例の話*1をしていたときだった。話がだいぶすすんでそろそろ次の話題に行こうかというところで、はたと気づいた。私を含めて参加者の半分ぐらいがラップトップを開いてメールやSlackをチェックしながら聴いている。これはどうしたことだろう。
この手のメールチェックってのは往々にして「重要でないが緊急なもの」か「重要でも緊急でもないもの」だ。少なくとも私がやってたのはそうだった。 そこで、その場で参加者に訊いてみた。「私も含めてみんなメールチェックしてたけど、それって重要で緊急なものですか? もしそうだったらお忙しいところ参加頂いていて大変申し訳ないんだけど、全員がそうって訳でもないんでは?」 すると、全員が「重要でないが緊急なもの」をやっていた。
一方で研修なんてものはおおよそ緊急でなく、でも会社はそれが重要だと思ってなけなしの研修予算と研修時間枠を使って投資している。つまりこれは「重要だが緊急でないもの」だ。 仮に参加者が「こんな聞き飽きた話はくだらねー」と思っていたとしても、会社はそう思ってないのだから、ならば速やかに「この研修くだらねー」という適切なフィードバックを与えるのは重要な仕事だ。
なんということだろう。我々は「重要でないが緊急なもの」より「重要だが緊急でないもの」を大切にしよう、という話をまさに聞き、うんうんそうだよなと思いながら、最後の最後まで疑問を持つことなくその逆をやっていた。つまり今まさに間違った優先順位を付けて、「重要だが緊急でないもの」について成果を出してなかった。
おそらくこれこそが、「重要だが緊急でないもの」に時間を割こうという話なんだろう。この話はきちんと説明されれば当たり前のことを言っている。漫然と聞いていたら誰もそこにさしたる疑問を抱かない。ただし、それを我がこととして引きつけて考えるには集中が必要だ。どんなに当たり前の話に聞こえたとしても、それを理解するの思考リソースを割く必要を感じなかったとしても、受講した時間から真に価値を引き出すためにはそれを真剣に考えることが必要だった。
「バックグラウンドで思考する」ってやりかたもあるが、そのために必要なフォアグラウンドタスクはアルキメデスの昔から典型的には入浴とか散歩とか落ちものゲーとかそういうやつで、メールチェックや定例会議ではない。 「重要だが緊急でないもの」にきちんと取り組むには、「重要でないが緊急なもの」を明確に排除して存分に取り組む時間を意識的に作らねばならない。
我々は、図らずもその意味を研修の中で実証したのだった。