無自覚な差別

mixiのトピックのコピー を読んでその自覚の無さにぞっとする。

事実誤認について

同性愛関連のサイトのうち、量的に多くのサイトに出会い系ないし売買春もしくは猥褻画像のような表現が含まれていることは否定しない。しかし、異性愛に関連するサイトのうちに占める出会い系や売買春もしくは猥褻画像の割合に比べて有意に多いのかどうかは疑問である。また、同性愛者団体や同性愛に理解を求める個人サイトでは意識してそのようなアダルトコンテンツを排除しているように思われる。

また、同性愛関連サイトのうちそのような露骨な性的表現を含むサイトを分離することは可能である。普通、そういうサイトは「アダルト」カテゴリに別途分類される。そのためのフィルタリング会社だからだ。できるはずだ。それができないというならDoCoMoはその使えない会社を切って、是非弊社とコンサルティング契約を(^^;

DoCoMoの姿勢について

差別的な需要があったとして、「需要があるから」といってそれに無条件に応えるのは差別のへの加担に他ならない。故に、「同性愛」カテゴリを作ること自体は悪くないが、両親の選択に任せるのではなく、「有害になり得るサイト」の排除手続きに伴って自動的に排除されるようにサービスを構築しているからには、「DoCoMoは意識的に同性愛を差別している」か「DoCoMoは同性愛コンテンツを子供から遠ざけることは差別ではないと判断している」かどちらかである。

子供の人権について

トピックでは、誰も同性愛者である子供について明確に言及していないように思えた。レズビアンフェミニズムの立場からのいくつかの報告は別として、幼少時から同性愛傾向を自覚していた人々が多くいることは認識しなければならない。そして、彼らの中には同性愛に関しての正しい情報から遠ざけられていたがための懊悩を味わった人々がいる。

おそらくは異性愛者であろう両親が、同性愛者として育つことへの十分な想像力を持たずに「フィルタリングによる排除が、いかなる点で「不当」なんでしょうか?」と問うている。自己の性的指向を自覚し、断固として表明するだけの精神的成長を遂げないうちから「自己が何者であるのか」「自己と似たような人間はどのようにして生きうるのか」「自己と似たような人間はどのように評価されているのか」という情報を剥奪されることが不当なのである。

あるいは、(私は甚だ懐疑的だけれども)仮に「ある時点で同性愛者としての素因を持たない子供が同性愛に関する情報に感化されることで同性愛者になる」という現象が仮にあったとして、親がそれを「良くない影響」であると価値判断することは同性愛者に対する不当な扱いである。ただし、もしそういう現象があるならば、トピック内にある発言のように「それは子供にとっての不利益であるからそこから遠ざけたい」という、善悪判断を伴わない戦略判断については、私はそれを差別的であると断言できない。

私の意見

両親が、各家庭の判断において子供を同性愛関連サイトから遠ざけようとすることは悪であるとは思わない。トピックでDoCoMoの判断への賛同者があげているように、その種の揉めごとに繋がりうるサイトへのアクセスは一定のリスクを伴うからである。子供をその種の揉めごとから守ろうとすることと、同性愛者である子供が自己に関する情報を遮断されること、これは同性愛者の人口比を考えれば一概にどちらを優先すべきとは言いきれない。そこを考えた上で、制限するほうを選んだ両親がいても悪いとは思わない。

ただし、このサービスを利用する両親の中に一定の差別的思想の持ち主がいることを承知の上で(もしくはそこまで深く考えることすらせずに)、それに積極的に加担するがごときDoCoMoのやりかたには反対である。このサービスではアクセス制限対象となるカテゴリを、両親の判断で設定できるようにすべきではないだろうか。