グレッグ・イーガンの『祈りの海』収録「繭」は非常に刺激的であった。以降、'''ネタバレ注意'''。アミノ酸とは関係ありませんので悪しからず。
- 作者: グレッグイーガン,Greg Egan,山岸真
- 出版社/メーカー: 早川書房
- 発売日: 2000/12/01
- メディア: 文庫
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脳の一部は、胎児期の発育過程にふたつの方向がありうるのだけれど、そのどちらかに進むかは特定の性ホルモンを血中に分泌するのが胎児の精巣か卵巣かによって決まるんだ。その一部とは、脳の中で身体像をつかさどる部位と、性的嗜好をつかさどる部位。ふつうだと女の赤ちゃんの脳は、女性の体を自己像としていだき、将来は男性に対してもっとも強い性的魅力を発するようにニューロンを結線される。……(中略)……最後の決め手はタイミング。性的に男女片方に決まるのが、発育のどの段階でのことかは、脳の部位によって違う。
視床下部、分界条庄核の分化に性的指向と性同一性の由来を求める本質主義説だ。イーガンは『 宇宙消失 』などでもニューロンの結線に支配される人の行動を描いているから、恐らく人の意志と行動についてそのような認識世界を持っているのだろうし、少なくとも描こうとしているのだろう。
作中の新技術「繭」は胎児を母胎のウィルス汚染や麻薬・アルコールから保護するための化学物質制御技術であるが、母親のストレスなどによる非典型的な性ホルモン曝露をも制御しうることになる。そのとき、マジョリティにしてこの技術の消費者たるヘテロセクシュアルな純男・純女カップルたちは自らの子のセクシュアリティをどのように選択するであろうか、と問いかけられる。
そしてこれは、潜在する差別問題を浮き彫りにする。未来の欧米社会で、「せいぜいで左利きか右利きかの違いでしかな」くなった筈のホモセクシュアルとヘテロセクシュアルであるが、では右利きの両親は左利きの子の発生をわざわざ抑制するであろうか。(一部の地域、時代に関して言えばこの問いへの答えはYESである。しかし、現代の欧米型文化、その影響下にある日本社会に関してはNOであろう)。次はp.135の会話である。
「今後ひとりも左利きの人間がうまれないとしたら、……(中略)……それはの一種の
大量虐殺 だとは思わないか?」「全然。何の話さ?」
同性愛者の発生が抑制される優生学的社会など、想像するだけでぞっとする。同性愛と異性愛と両性愛と無性愛と、言語化の限定を受けないその他のあらゆる性的指向は自然が産んだバリエーションであり、同性愛者が同性愛者であることによってQOLを侵されているとしたらそれは社会の制度と意識に由来する問題であって、性的指向におけるいかなる非典型も本質的な意味で疾患ではない。'''正常な'''バリエーションなのだ。
しかし、性同一性障害者の発生を抑制する社会を私はおそらく歓迎する。性同一性障害は社会との関連性における問題である以前に自己認識・自己同一性の障害である。性同一性障害の、少なくともTranssexualismの人々にとっては自己の身体と自己の意識、同一性それこそが最大の問題である。社会との関係がいかに改善されようと、それは苦痛の軽減であって解消ではない。「であること」それ自体が苦痛であるのだ。従って、私はそのような人々がこれ以上誕生しないことを歓迎する。
これが、堕胎などによる'''抹殺'''であるならば私も反発を感じたであろう。作中世界に於いてもこれが同性愛者である胎児の堕胎であるならば世論(=市場)はもう少し違う方向へ向かう見込みがあったろう。しかし、これは「発生の抑制」なのだ。発生した存在を抹消するのではなく、発生可能性を抹消する。
このあたり、考えがこれ以上はどうにもまとまらない。1つ、作中の市場(=異性愛者)は左利きとは異なり同性愛者を抑制することを選択すると考えられ、これは潜在する差別感情の反映であると感じられるが、では何故、彼らはそのような感情を抱くのか。そのような差別が潜在しているのか。彼らは、隣人が同性愛者であることに全く嫌悪感も感じないのに、なぜ「繭」を使用するのか。
1つ、私は何故、性同一性障害者の発生抑制に反発を感じないのみならず歓迎したくなるのか。性同一性障害はマイノリティとしての在り方が、同性愛とはどのように異なるのか(上の考察では不足であろう)。このあたり、「トランスジェンダー」「Transgendered」が「性同一性障害」として言語化され医療化され疾患化され規定されることに対して反発する意見の人々は私とは違う感想を抱くかも知れない。発生抑制に嫌悪を感じるかも知れない。彼らの意見を聞いてみたい。それは、同性愛者が自然の産んだバリエーションとして自然な生=性を謳歌していると同様、「トランスジェンダー」たちが「規定されない性」を謳歌しているからなのか。彼らは謳歌しているのか。