この文章を、あまりにも早く去ってしまった才能、 伊藤計劃 に捧げる。
さて、私の名刺には"mad web programmer"と刷ってある。「何が"mad"なのか」というのはFAQである。今まで幾人かに答えてきたその答えをここに書きたいと思う。
webの安全性について
ネットが危険であると言ったのは誰だろう。いや、ネットは安全である。WWWの隣人は包丁であなたを刺さない。WWWの中傷者はログから追跡可能だ。
オフラインとは、認証を経ていない誰かがあなたの存在を抹消できる世界。証拠を残さずにひそひそと他人を中傷できる世界。顔が見えているというだけの実質のところ匿名で、他人を追い詰めることので きる世界。
オフラインは危険である。webはより安全なのだ。webが理想郷であるというつもりはないが、ことさらに「web炎上」などと言うな。 そこにある暴力性は、少数者がオフラインでは日々脅かされている暴力性だ 。現時点で人間というものが暴力的なのであって、webがオフライン以上に危険なわけではない。
webの貧しさについて
一方で、webはどうしようもなく貧しい。これはwebの安全性に比べれば喧伝されていて、今更言うまでもない。食欲をそそる香りはどこにある。風を切る爽快感はどこにある。
ヒトの生活空間について
WWWが大衆への普及の臨界点を越えてから、15年あまりで我々はここまでやってきた。次の15年で、我々はWWWのように安全でオフラインのように豊穣な世界に住むようになるべきだ。
それは、WWWが豊かになるのでも良い。五感を統合し、感覚器として神経に直結し、あるいは精神がWWWに住まう、『ディアスポラ』のような世界。
また、オフラインが安全になるのでも良い。情報が公開され、物質がトレースされ、あるいは医療が生命を保障する、『ハーモニー』のような世界。
おそらくは、その両輪が共に進みながらより完全な世界がやってくる。
そのためには多くが必要になる。よりクレイジーなサービス、より沢山の広告費、より確固とした判例、より身近な入力装置、よりと安いセンサー、より便利なフレームワーク、より意味を表現できる言語 、より高速なプロセッサが必要になる。すべてが必要になる。私はその一助をなしたい。私の才能が乏しくとも、ささやかでもそれに寄与したい。
madnessについて
『ディアスポラ』のアップロードされたヒトの姿であれ、『ハーモニー』の管理された健康であれ、それをおぞましく思う人はいるに違いない。そんな世界には生きたくないと言う人がいるに違いない。と いうより、今現在、そうした人間像を理想だと思える人のほうが珍しくはないか?
にも関わらず、私はそれを「より完全な世界」と呼ぶ。そして、WWWとその周辺の経済活動がより完全な世界への道であると信じる。WWW関連産業における無数の試行錯誤の一要素としてがむしゃらに活動す ることがよりよい未来への道であると信じる。誰かが死んでもごめんだと考えているに違いないそのおぞましい未来のために歩みをやめない。
だから、私はmad web programmerなのである。