「 【就職】スーパー大学生が就職活動や就職をするとこうなるのかな。 」を読んだ。ま、こういう謙虚なのは好かれるし、それが大切であるという側面もあるよね。ただ、あまり自己を過小評価するのも良くないと思うので、昔の反省も込めて違うことを書く。
前提
要は、他の同年代に比べて様々な活躍をしている「スーパー大学生」の能力は社会に出てどの程度通用するか、というのが本質的なところの話題だと認識している。(上の記事「……こうなるのかな」では「就職活動でどう評価されるのか」という違う側面からも評価を試みているけれども)
「……こうなるのかな」では
- ほんの少し先んじているだけで、同等以上の経験を経ている社会人一般にはなかなか太刀打ちできない
- 「1度トップに立ってしまうとゼロからやり直すのは怖い」
と書いている。
私の意見
うーん、大学生だか何だか知らないけど経験は経験である。社会人でも大して学んでない人もいるし、学生時代何かやったからってそこからどの程度学ぶかはまちまちで、学生とか社会人とか関係ないでしょ。
まー、私も大学院中退に至るまでに色々やったよな。色々やったけど、でも初めて会社の面接を受けに行くときには「所詮私の経験は職業としての経験ではないのであって大したものではない」と思っていた。でも、これはある意味で正しくて同時にある意味で間違っていたと思う。
正しかったというのはつまり、そこで自分の経歴を過大評価して吹聴するようなやり方は日本ではあまり好かれないのであるということ。自分の経験を謙虚に捉えたほうが面接なり職場での人間関係の構築なりには有意義な側面はある。少なくとも元記事が指摘する「武勇伝語り」は致命的なミスというか、それをやっちゃう人は結局「いろいろな人とほどほどに付き合う」というスキルには欠けるよね、と。ま、採用側のあるべき姿勢としては1つのスキルが欠けてても他のスキルがあればいいんだけどさ、でも、受験側としてはわざわざ自分のスキルの1つを低く見せる理由はない。
で、間違っていたというのは「確かにお金を貰って仕事して初めてできる経験もあるけど、でも学生時代に学べることを学んできてない社会人いっぱいいるよ」ということ。同僚や先輩や上司にその手の「学んでない」人がいるなら、もしそれを自分の経験でサポートできる可能性があるなら、そこでは自己を過小評価せずに自分の能力を組織のために活かすべきだ。
私は自分の過去の経験を活かせなかったことを後悔している。こんなことがあった。会社で組織に関する内部的な問題が起きて、私は似たような事例をいっぱい経験して失敗例と成功例を知っていて、経験に照らして上役が取ろうとしている戦略は間違っていると感じた。でも、「あー、あのときと同じだけど、でも社会経験豊富な人たちがこう言ってるんだし、会社ではそれでいいんだろうな。勉強になる」と思ってその流れを認めてしまったんだ。会社が小さいということもあって、私は流れを変えられる立場にあったのに。「年齢が30歳上でも駄目な人は駄目」!
私の経験
最近でこそおとなしくもなったけど私は昔は声の大きいタイプだった。そのせいで小学校の学級委員に始まって、児童会三役をやって、生徒会三役をやって、何たら委員なんて言うのは山ほどやった。あれって、「○○長」は兼任してはいけないという規定はあったけど、「副○○長」は兼任OKだったから経験の浅い人を傀儡の長に付けておいて院政を敷くようなやり方で結構簡単に組織を牛耳れるんだよね。
部活では当然部長をやって。学校外でも、博物館の某会の委員やら同好会の運営局やら、地域自治会のイベント企画やら。年代の違う人と一緒に仕事する機会にも恵まれた。大学に入ったら学内最大のサークルと弱小サークルと兼部して、それからもう1つ別のサークルの立ち上げと崩壊に付き合った。ああ、あとサークルじゃないけど似たような組織で研究活動やら講演会やらを企画・実行したな。
まあ、やった人なら分かるだろうけど、お金を預かる緊張感や事務処理なんていうのは会社じゃなくても経験できる。100万のオーダーでも学生にとっては大金だし *1 、イベントを主催したときにはそれで外部の人とのお金のやりとりを沢山やって十分緊張感を体験できた。 その他細々と、イベントやるのにお役所と話し合ったり、飛び込みで企画への協力を持ちかけたり。対談したり"外交儀礼"したり。
……というのを「武勇伝」というんだな。これを自慢たらしく語ったらまあ、そりゃマイナスにもなり得るだろう。
それはさておき、これで私が知ったのは「何でもやってみれば結構実現できる」「どうしようもなく無能な人がいる」「大きな組織と小さな組織は違う」というようなこと。そして、体験したのは
- 無能な人を放り出せない状況下でどうやって仕事を回し、同時にその人にも何かしらの貢献をしてもらうのか
- 組織の連帯感はどうやって崩壊していくのか。
- 感情的な摩擦をどうやって検出し、対応していくのか
- 官僚的機構の中の人の気持ち
- その他、組織を動かすバッドノウハウの数々。
結果として数人規模から数万人規模までいろいろな規模の組織の運営に関われたのが大きかった。それぞれに意思伝達の適切なやり方は違う。失敗も大量にしたというか、どちらかと言えば失敗した場合のほうが多い。
気づいたこと
私はとにかく色々兼任しまくったし、いろいろな立場から関わった。よく考えてみれば当たり前なんだけど、私みたいな良く出しゃばる人間がこういう座を占めていると言うことは、その座を経験できなかった人が沢山いるっていうことだ。社会の大部分はそういう人たちでできている。だから、みんな精々が部活と最初に入った会社と、その程度しか組織を知らなかったりする。年数が長くてもバリエーションが絶対的に足りてないよ、それ。
だから、私は叶うことなら昔の自分に言いたい。「いろいろ経験してない人は年数が長くても視野が狭いことがあるので、自分は年数が短くとも遠慮せずに経験を活かす努力をして、必要なら意見を戦わせてすりあわせて何かしようよ」と。「組織に馴染むまではほんの少しだけ謙虚でもいいけど、入ったらもっと組織の目的のためにしゃしゃり出ようよ。相手が正しいときは相手は私を合理的に説得してくれるから意見の表明を遠慮するな」と。
結論
大学生だか何だか知らないけど経験は経験なので決して遠慮するな。摩擦を避けるための謙遜ならあってもいいだろう、冷静さのために心の中で一瞬控えめな評価を試みるのも良いだろう。それ以外は遠慮は無用。
蛇足
「1度トップに立ってしまうとゼロからやり直すのは怖い」ってまだ甘いよ。もっと沢山の場を経験すれば、新しい場でゼロから始まるのなんか日常茶飯事でしょ?
中高で部活で部長なりキャプテンなりレギュラーなりやれば否応なく経験することじゃんか。ゼロから始めるのはそんな気負わなきゃならない怖いことではない。つまらない雑用もあるかも知れないけど、結局誰かがやらなきゃいけないことで他に適任がいないなら喜んで *2 自分がやろうよ。