幸せの用語法

少し前に書いた 人生における敗北 という記事と、そこにtrackbackを送ってくださったredcatさんの Win? or Loss? という記事と、似た主題を扱っているのだけれど用語法が微妙に異なる。単に私の用語法が少し変わっているだけかも知れないけれど。このあたりの思想をちゃんと勉強している人が見たら怒られるかも。

そのへんを明確にするためにちょっと自己問答をやってみたい。

  • あなたは幸せですか

    YES, of course! 良い人間関係に恵まれ、助けられ、類い希なる幸せのもとに今日まで生きてくることができました。

  • あなたは日々の生活が楽しいですか。

    刺激的ではあるけれども抑うつ状態とか、パニック発作とか、性別違和感とか、辛いことがいっぱいです。

  • あなたは「勝ち組」ですか。「負け組」ですか

    この評価軸自体に違和感があり、嫌いです。でもこういうのが好きな人は勝手に人を評価してればいいと思います。私が目指すところが為されれば、この軸に於いては「勝ち組」ということになるでしょう。目指すところは成し遂げてみせるつもりです。とりあえず今のプロジェクトを成功させて、ゆくゆくは会社を上場させてですね……。まぁ、「勝ち組」でも「負け組」でもどうでもいいんじゃないでしょうか。

  • あなたは自分の人生や境遇に納得していますか。

    していません。しないからこそ、それを改善していこうという気力が生まれるのです。

  • あなたは自分の人生に終わりに於いて「勝った」と思えると思いますか。

    人生は勝ち負けが問題ではないという可能性もあるので、問う相手によってはこの設問自体が不適切です。でも、私は「納得して人生を終えられること」を「勝ち」と定義しています。さて、その下に、私は「勝つ」ことができるでしょうか。無理です。いえ、「勝ちたくありません」。私の運命と境遇に対する憤りが私を突き動かし、それを改善しようとしているのです。ですから、私が私の人生に納得するとは、そういった私が為し、為してゆくであろうすべての建設的行為への否定なのです。私は私を否定しません。私は私の正義を否定しません。故に、私の人生は敗北であり、敗北となるであろうと私は定義するのです。

どうでもいいけど、こういう「勝ち負け」とか「納得」とかについての用語法や思想は 新井素子皆川ゆか の影響が濃いな〜。 チグリスとユーフラテス における人生観や、 運命のタロット の帯の煽りにも書いてある「人間はどう生きるべきか」。