「 無断リンク禁止は、WWW をどう考えているかの問題あたりらへん 」を読んだ。
え、何? また「無断リンク禁止」が問題になってるの? これ、何周目の議論だろ。WWW日本語圏に限っても5周や6周じゃ済まないよね。ただ、私にとってはその繰り返しもまったくの無意味ではなかった。無断リンクを禁止したがる人々にとってのWWW、彼らが感じているWWWというものがいくらかは分かってきたのだ。彼らの「ほーむぺーじ」も「ぶろぐ」も「ぷろふ」も発信者個人のアイデンティティと極めて密接に結び付いた感情表現の集積であり、リンクが成す生態系それ自体も彼らの感情ネットワークの反映であり、そこに土足で暴力的なリンク(=感情)が割り込んできては困るのだ。
昔々、書いたことがある けれども、これはどうやら文化の違いらしい。何を見るのか、何を感じるのか、思考の枠組、その違い。見ているものがちがうのだから、まずそこからすり合わせていかなければ対話は成立しない。そして、どちらが正しいというものでもない。
ただ、リンクを自由にしておきたい人々と、被リンク者の管理の下に置きたがる人々は対称ではない。前者は先住民で、後者は移民である。私は先住民の末裔の一人として移民たちに言いたいと思う。
私は、先住民の多くがそうであるように多様性を尊ぶ。故にあなたがたがWWWに植民してくることを歓迎する。だが、あなたがたが私たちを尊重しないなら私はあなたたちを尊重しない。偉大なる族長Tim Berners-LeeがHTTPを規定し、HTMLを設計し、www(httpd)を書いた。これによってWWWの大地が切り拓かれた。情報が自由を求めるという共通する価値観の下にFreesoftwareがあり、WWWの大地の豊かさにも支えられながらLinuxが育ち、花開いた。
自由の民がWWWの豊穣を作り出した。あなたがたが豊かな土地を求めてやってくるのは構わない。けれども、自由の民の文化をどうか殺さないで欲しい。自由の民の習慣を野蛮だと言って禁じることはしないでほしい。私もあなたがたの文化を尊重するように心がける。ゆくゆくは文化は交じり合い摩擦もなくなっていくだろう。その日が訪れるまで私は共存を望む。習慣の違いが互いに不快をもたらしたときには、穏やかに話し合おう。何よりも、互いに違いを知ることで不快を減らすことも可能なはずだ。共存を不可能にするような高圧的な態度をとらないで欲しい。私たちにも私たちの道徳があるのであり、あなたがただけが正義ではないと知ってほしい。
もし、あなたがたがどうしても共存できないようなやりかたを望むなら、その時は私はこう言わざるを得ないだろう。「よそ者は出て行け」と。そんな悲しいことは言わせないで欲しい。