ここ1ヶ月ほど調子が悪い。抑鬱状態で、プログラミングしててもDVD見てても音楽聞いてても仕事しててもなにしても楽しくなくて、なにより集中力が続かない。力が入らなくて、何もする気力がなくて、床に倒れ込んだり。食欲不振と偏食。急にそわそわして(不安症状ってやつね) 、あるいは急に動悸に襲われて動けなくなったり。強迫観念を制御できずに行動を大きく縛られたり。
こうなる前の数ヶ月は薬でずいぶんと落ち着いていたけれども、もうここ1ヶ月はダメダメだ。 引き金が引かれたその日は、のたうち回って苦しんだ。それから、塚田医師の診察を受けて薬を増やした。昼間の眠気の代償として一時は落ち着いた。調子の良い日は、まぁ、まずまず。けれども、やはりのたうち回るほど苦痛の酷い日、そして疲労して一日眠ってしまう日。何をしても落ち着かなくて楽しくなくて体もうまく動かずに天井を眺めている日。
この状態の引き金となったものは明らかで、性別違和感だ。私にとって、社会的関係性において私がどういった性別であるのかというのは確かに大きな問題だ。けれども、私の身体性感覚において私がどういった性別を自覚するのかと言う問題がより重要である。というのが、ま、私がMtF-TSを自称する根拠なわけだ。
だから、私は自己の身体感覚入力に一定のフィルタを掛けるように訓練している。そうでなければ一瞬一瞬が私にとっては「いっそ殺せ」と言いたいばかりの苦痛だからだ。けれども、このフィルタを突き抜けてやってくる感覚入力がときたまある。特に、夢の中で。一度そこに苦痛を感じてしまうとあとはポジティブフィードバックが働く。苦痛は、なぜ苦痛なのか、何が苦痛なのかというところに自然に意識を向けさせるからだ。
その日、夢を見た。私にとっては悪夢である。目覚めて、私は認識してはいけないものを認識した。私は意識ある限りの一瞬一瞬の身体感覚の全てが自己の人格を苛むという苦痛に晒されて、床でのたうち回った。苦痛は苦痛の源に意識を向ける。それが苦痛を増す。苦痛は「のたうち回る」「頭を打ち付ける」「自分の首を絞める」というような行動をもたらす。その行動は新たな感覚入力を生む。これが苦痛を増す。こうして、私は疲労で意識を失うまでこれを繰り返し、目覚めてはまた繰り返した。
こうした疲弊が抑鬱症状やら強迫観念やらの状態を悪くする。いつもこれの繰り返しである。そして、ただ死にたくなる。この苦痛から逃れられるならなんでも良い。実際のところ、塚田医師のところまで診察を受けに行くにあたって電車に飛び込まずにいるには苦労を要した。
塚田医師に相談した限りでは、いくつかのことを言われた。
- 希望するなら、SRSをしたほうがいいかもしれないね。
(自他に危害をあたえる可能性が)そんなにひどいなら、入院も選択肢としてはあると思う。
しかし、入院による集団生活は(加害可能性を防止はしてくれるけれども)性別違和感を刺激してより状態を悪化させるだろう。
ただね、SRSを希望するにしても(できるなら今すぐにでも希望するけれども)、倫理委員会の許可を得るためには、私がそのような重大かつ不可逆な決定をくだせるだけの、正常な精神状態にあることが必要なんだ。この抑鬱状態、薬に頼っている状態を直さないと倫理委員会の承認は降りない。原因を取り除くためには先に症状を根治しなければならないというジレンマ。どうすればいいんだろう。
そして、承認されたとして、その後の長い長い患者の待機列。それから、今、埼玉医科大学でのチームが機能停止中であるということ。
ただ、塚田医師のその話を聞く限りではなんとしてでも入院は避けるべきだよね。この上更に新たなジレンマを作ってどうする、という。入院が病状を悪化させるなら、うっかり入ったらそのまま出てこられないじゃないか。
死ねってことか。死ねってことか。
ま、そういうわけで、調子が良い日は仕事は少しはしてる。けれども、今週は結局何もしてない。夏休みと合わせて、結局今週は一度も出社してないな。これで解雇されないのは、まぁ、その辺お互い納得ずくで契約してるから、だと思うけど。まだ有休残ってるし。
でも、これがまた、私の自信をなくすのだよね。私だって自己管理はそれなりにやってるつもりだし、プライベートなことを仕事にそうそう引きずったりはしないさ。でも、性同一性障害という問題だけはとてつもなく重くて、ときどき管理を外れて私を襲う性別違和感、これがもたらす今回ののような問題は回避不能だ。回避するように努めてはいるけれども、一定の確率でやってくるものだ。そのとき、私の生産性は劇的に落ちる。ま、落ちたってその辺の生半可な人よりはよっぽど役に立つ自信はあるけどさ。でも、やはり労働市場において大きなハンディキャップだ。ま、だからこそ「その瑕疵に目をつぶれば、優秀なプログラマの高い生産性が割安で買えますよ」っていう売り方をしてるけれどもね。
とかまぁ、そういう酷い状況下でも人間何とか生きているということを証するっていうのは私の掲げる究極的な目標に合致するものであるから、もうしばらくはのたうち回ってみるさ。死にたい。