java.lang.だのjava.io.みたいな古いAPIは「これからオブジェクト指向な新しい世界が始まる」と気負いすぎている割にマーカーインターフェースとか痛々しいことをやっていたりする。その辺は『 Effective Java 』で、中の人自身が「あちゃー。いたた」と反省を述べている。というわけで、この本はJavaのAPI設計における良書でもあるわけだ。
この痛々しいAPIを「 中二病 的インターフェース」と呼ぶならば、その後に台頭した"えんたーぷらいず"な重厚長大APIはさしずめ「 高二病 的インターフェース」だろうか。
昨今のSeasarの活動で成し遂げられ、また羽生さんが「これからようやくJavaが始まる」と言っているのはこのような多重に痛々しい過去を受け入れ、乗り越えてJavaが成人するということなのかもしれない。でも、乗り越えそこなうと「 大二病 」への道なので気をつけよう。「業務システムは結局は画面ベースで、フロントにオブジェクト指向はいらない」というのは正当で、高二病への正当な批判であろう。けれども、もし今後「業務システム」「画面」というコンテキストから溢れて「脱OO」に走りすぎるような潮流が起きると、それはまさに「大二病」に違いない。