ASCIIのLaTeX本とKnuthのTeX Bookが見つからなくて、部屋の中を探し回った。なんとか見つかったけど、本当に、私が自分の蔵書を探し回る日が来るとはね。なんたる幸い。なんたる恵み。
蔵書の配置は私の強迫観念の対象で、一連の規則群を満たすように並べなくてはならない。私はその規則に反する並べ方をすることができない。
かつてはその束縛がとても強かったので特定の蔵書のあるべき位置は非常に限られていた。作業中に一時的に積み重ねるにも積む順番および形状が規則を満たさなければならなかった。無造作に本をどこかに置くにしてもそのための規則を満たさなければ置くことができなかった。本が見つからなくて困ることはなかった。
それに、配置に関する強い執着が強い記憶をもたらして、私は全ての本棚の内容を端から記憶していたのでそもそも探すということをしないことが多かった。
それが、私に余裕ができて規則の束縛から抜け出はじめるとこの有様だ。私は今、あの本棚の一番左端に入っている本が何だったか覚えていない!! 無意味な規則とそれに従わなければならないという確信から逃れてきていることを嬉しく思う。
それでも、必要なときに本が見つからないのはやっぱり困ったことなのだけれど。