夏コミで買ってきた桜坂洋・鈴木健・東浩紀の『 ギートステイト・ハンドブック 』を読んだ。現在準備中の プロジェクト・ギートステイト の先行紹介らしい。
まず 設定 に、特に「geet = 単純知的労働者 = 知的集約産業の労働者としてのゲーマー」という発想に痺れた。 ゲーム等のエンターテインメントに機械的にマッピングされた単純知的労働(ゲームプレイ・ワーキングと呼ばれる)をこなす、在宅労働者。
知性経済
前に えらく混乱した文章 を書いたけど、やや遠い未来における経済において流通する財っていうのは本質的になんだろうと考えたとき、私はそれを「知性」だと思ったのね。知的問題を解決する潜在能力。力学的問題を解決する潜在能力には物理学が名前を付けていて、それをエネルギーという。物質操作のエネルギーに対して情報操作の対応物を考えてほしい。
今、集合知システムとかCGMとか言われてる。ゲーマーにせよブックマーカーにせよ、彼らを集合させたときに何が価値を生んでいるかといえば、知的問題を解決するための複製不可能な"エネルギー"だよ。で、アルファブックマーカーみたいな人がなんで評価され得るかといえば、それだけ多くの"エネルギー"を消費した実績をもってるからであって、つまり彼らはその頭脳の中にそれだけの財を持ってるわけだ。
今のいわゆるWeb 2.0企業というのは、この知的エネルギーを価値として流通させる経済と、貨幣経済との間の落差を利用して儲けてる。ロングテールとかいうのは、その1つの側面に過ぎないと思ってる。彼らは(私は、と言いたいけれど)知性経済の財を貨幣経済に輸入して儲けてるだけで、その結果として知的エネルギーの任意集約可能性が貨幣経済のほうでももたらされてるだけなのね。
でも、Web 2.0企業っていうのはまだ過程に過ぎない。Web 2.0企業が今やっていることっていうのは、単にその落差が存在することを発見して貿易で儲けてるだけ。まだまだ交換レートは本来より悪いし。彼らはこの交換レートを技術の力で改善することでさらなる利潤を追求するに違いない。でも、このへんは完全に抽象論。具体的にどうやるのかと聞かれると分からなかった。
geet
そこで「ハンドブック」を読んでgeetっていう発想に出会った。知的問題を解決する駆動力として、問題を「本来の仕事の姿とまったく異なるエンターテインメント的な外見(多くの場合はコンピューター・ゲーム)」に変換して、彼らにはそのゲームを通じて労働させる。
これって、多分NP-completeとかの概念と関係あるんだよね。「ハンドブック」中でも巡回セールスマン問題とかに言及してたし。極端に言えば、決定性多項式時間な問題はノイマン型計算機にやらせておけばいい。じゃあ、人間がやらないといけない難しいことっていうのは、やっぱりNP以上で。NP問題を充足可能性問題に多項式時間で帰着させるように、社会における非ノイマン的な単純知的解決作業を全てゲームに落としてしまえば良いわけだ。ゲーマーの知性を任意に集約可能になるわけだ。
ディストピア
ギートステイトはある意味ではディストピアとして設定されているように思う。特権階級としてのスーパーゲーマーを除いては多くのギートは低所得者階級であり、あまり暮らしやすくはなさそうだ。
私が当初思っていたのは、究極的にはユートピアなのね。過程としては確かに知的労働の集約と搾取は行われるよ。というか、中間過程として発生する貨幣経済のほうに実態を持つ営利企業は、貨幣を稼がなきゃなんにもならないんだし、そのために搾取はするさ。でも、Web 2.0企業の利潤追求の結果として知性経済と貨幣経済の間の関係は密接になっていき、平坦化とカオス化が起こる。これらの経済圏の間の格差はその時代の投機家によって瞬く間に吸収されて、平坦化される作用が働くだろう。同時に投機によってカオス化が発生し、もはや制御は不能になる。そうして発生した貨幣+知性経済においては、人間が人間として知性を行使することそれ自体が本質的な価値を生むから市場だけによって一定の福祉が達成されるはずだったんだ。私はそう夢想してた。
でもなー。geetのほうが遥かにありえそうだよなー。具体的に二つの経済の間の変換技術を提示して見せてるっていうのも大きいけどさ。