真っ当でない大人

ケビン個展 の会場のオーナーさんの台詞が印象的だった。「私の子どもは不良にはならないと思う」と。

まわりに普通に働いて暮らしてる大人なんかいないから、「自分は普通に生きる」と思うかも知れない。その「普通」のレールに乗れなかったとしても、自ら乗らない選択をしたとしても、何もレールに乗らないと表明するためだけにバイクに乗る必要はないって見て知っている。いくらでも自己表現のしようはあると知っている。……という。

いいね。これはロールモデルの話だ。私は ロールモデルの提供 をひとつの究極的な目的とする。オーナーさんの話を聞いて、ならば私はそういう子どものための真っ当でない大人になろうと思った。真っ当な大人のロールモデルは誰かもっとまともな人ががやってくれるだろう。

ちなみに、今『 下流社会 』を半分読みかけだけれども、そこまで読んでの感想は「よし、下流になろう」と。食うや食わずやの生活は可能なら避けたいけれど、この本が描き出す「中の下」の生活はこの上なく魅力的だ。

そういう、教養溢れ審美眼を磨かれた、上品で、やや低所得で社会の本流から外れた、混乱を好む、真っ当でない大人に、私はなりたい。