闇を思え

夜道を歩いてみた。これも久しく絶えていた趣味の1つではある。幸いにしてこのあたりはまだ治安はいい。

この季節のことだから、虫の声で無音からはほど遠い。でも人工音はない。当たりに人影もない。足音が響く。体が暗闇に溶け込んでいくような感覚にとらわれる。溶け込んでいくのは「役割」だ。関係性だ。輪郭が曖昧になって、逆説的に聞こえるかも知れないけれど、そうして私は私の輪郭を思い出す。普段、私の輪郭がどういう形をしているのか、を。

最近、早寝早起きしすぎていたかもしれない。朝日を浴びる不健康な生活。私は、私たちはそういう風にはできていないということを、思い出した。もっと暗闇を。

昔、森の中に横たわったことを思い出す。森の中はいつでも植物と小動物で騒がしい。鉱物でさえひそひそと語っているように思える。それは無音ではないけど、でも静かだ。あるいは、広がる水田の中を一人で歩いていったことを思い出す。見える限りの中に、私以外の人はいない。

これが必要だ。これが本質だ。裏地は黄色のマントを羽織い、カンテラを掲げて歩く老人。その背景は暗闇でなければならない。

今日のことはちょっとだけ回復のヒントになったかも知れない。寝静まった夜の住宅街、息づく夜の森、真っ黒にうねる水田。その中を一人で歩いていく。私はそれを望んでいたんじゃなかったのか。手段や目先のことにとらわれて一番の目的を忘れちゃいなかったか。陽の下を歩くのは目的のものを手に入れる過程であり手段に過ぎない。私が築こうとしているものは、もっと永続的なもっと確固たるもの。もっと穏やかで、もっと冷たい、staticな思索だ。その背景には暗闇こそがふさわしい。

もっと暗闇を思い、食らい、味わわなければならない。