一般論はつまらない。でも好きだ。

すべてのことを思考せよというのが私の立場だ。この世のあらゆる対象に対して最低限の認識を持ち、思考し、見解を持ち、少なくとも知らないということを知る。

そういう理想的な立場からすると、一般論はつまらない。何でもいいから、意外なもの、危ういもの、extremeなもの。思索のきっかけとなるものこそが価値をもたらしてくれる。そつがない、何とも衝突しないものはつまらない。

でも、すべてのことを思考するのは不可能だ。有限な認識能力と、有限な時間しかないから。そういうところで、一般論は便利ではある。認識できない、思考できない、見解を持っていない、知らないということすら分かっていないところに対しても、とりあえず安全性の高い方策を示してくれるから。

だから、一般論を述べるなら、積極的に関わろうとする者にとって一般論とはゴミであり、受動的に吸収しようとする者にとって一般論とは有益である。すべてのことに積極的に関わっていける人間はきっといない。