小野塚カホリと高河ゆん

小野塚カホリという漫画家、以前『 SHIMI 』を読んだときにはそのどろどろの欲望の描写についていけなくて、今ひとつピンとこなかった。今日、何となく買ってみた『 楽園の南 』を読んだけれど、これは良かった。好きな作家になりそうな気がする。

このきな臭くも平和なご時世にあって、創造する余地の無い追いつめられた感じ、そういうものを表現できる作家が、私は好きだ。全く系統は違うけれど、多分私が『楽園の南』を気に入った理由は 高河ゆん を好きな理由と同じだろう。自己の存在/存続/であること/形相(けいそう)、迷いながらも、それを求める人物が好きなのだと思う。

彼女たちの描く人物像を見ると、私はsolverだなーと思う。しかも、きっとダイクストラ法だ。それって生き方としてはどうなんだろう。あぁ。こんな連想をするのは、『楽園の南』を読んだのがセマンティクウェブにおける推論機構の解説を読んだ直後だったからだろうか。

私の望みは叶わないという確信の下に、ただ、かつて感じた憤りの導くところに従って、別に望んでもいないけれどせめて実現せずには納得のしようもない、そんな目的に向けて、私は進もうとする。この演繹連鎖の枠組みを超越して、ただ欲しいと思えるものがあって、そのために時間を使える日が来たなら、多分満たされるんだろうなと思う。そういうものに出会えるだろうか。