実学志向

なんか、最近報道される大学改革が不穏な感じ。石原都知事都立大学構想もそうだし、国立大学の独立行政法人化にともなうあれこれもそう。とにかく、今すぐ役に立つことが重要視されている気がしてならない。でも、「真面目だけど役に立たなそうな研究」こそ国立大学がやるべきことじゃないんだろうか。

人類の歴史を見れば今すぐには役に立たない、儲からない、果たして何かの役に立つかどうかすら疑わしい、そういった事柄を研究しておくことは必要不可欠といえる。あらゆる代数方程式を何が何でも解いてみたい、その方が美しいというあまり役に立ちそうにない趣味的ともとれる研究無しには今のような代数体の理論は無く解析学の豊かさも無く、物理学の発展は得難かったであろうし、気象衛星を打ち上げることもできなかったろう。気象予報といえば、確か四元数も使われてた気がする。あれも、数の2次元への拡大を更に3次元に広げてみたらどうだろうというハミルトンの日常生活にはあまり訳に立たなそうな思いつきから始まっている。

一見すると日常生活や経済的発展にとって無価値に見える研究のための研究の中から、100年後あるいは1000年後の人類に不可欠な技術が生まれてくるのは歴史の示すところによればほぼ確実だ。しかしどの研究がそうであるのかはそのときにならなければ分からない。だから、社会に余裕のある限りそうした研究のための研究を許しておくのは必要なことだ。

民間に、「1000年後に儲かるかも知れない」研究を期待するのは無理というものだ。だから、それは公が主にやるしかない。特に、地域住民のために存在する地方自治体ではなく、国が中心的にやるべきなんだろう。