「 堕落した日本のわたし 」を読んだ。
だいたい子供なんて物心ついた頃から嘘をつき
(中略)
だいたい嘘をつかねばならぬような状況をつくるから嘘をつくのであって,そこで嘘をつくということは,やってはいけないことをやっている自覚もあるのだろう。
というくだりがある。元の記事の論点はそこじゃないのは承知の上で、黙ってられないので突っ込む。
嘘をつくのは事実を述べることが非難を呼ぶであろうという予期を持つからである。「やってはいけないこと」と「非難されるであろうこと」は一致するケースは多いであろう。けれども、両者を無批判に同一視することはマイノリティ差別の無条件な肯定である。一般には独立と考えるべきだ。
非難されることが分かっていればそれを正直に述べようとはしない。家庭や学校の言論において力を持たない小さな子供であれば余計にそうだろう。それが正しいかどうか、本人が正しい行為であると信じているかどうかは関係ない。非難の原因となる規範を内面化していれば、本人は疚しさを感じてすらいるかもしれない。けれどもそれは関係ない。
非難されるであろうという予期を「やってはいけないことをやっている自覚」とみなすなら、その論理は宗教、性的指向、性同一性、思想信条による差別を肯定する。