喪失、喪失、喪失

天使が舞い降りても の喪失のフレーズが響き渡るって書いたけどさ。前に。

客観的に見てどうだかは知らないけれど、少なくとも私の主観においては私はずっと失いつづけていて、で、極めて保守的な人間なんだ。これ以上何かを失わずにすむならば、もう何も得られなくても良い。常日頃は意識しないように訓練しているけれども、でも、私にとって日々は喪失だ。性別違和の下に置かれたまま意識を継続することそれ自体が喪失だ。常に負値だもの。その積分は単調減少だ。

だから、誰にも何も失ってほしくない。誰かが何かを失うことに耐えられない。そして、耐えられないが故に自分が誰かから何かを奪うことにひどく"被虐"的な愉悦をすら感じる。私が望むのは停滞であり、不変である。分かってる。私にとって「この世界は解決を待っている魅力的な問題でいっぱい」なのは自暴自棄の一種に過ぎない。何も変わらないことを望むけれども、それが叶わないことが分かっているので、ならばあとでどうなろうとも面白く変えてしまえと言っているに過ぎない。

騒げ騒げ、もっと騒げ。

絶望した人間に恐いものはない(故に、真に保守的な強者は自己の利益の最大化のためには、絶望した弱者を生み出してはいけないのだけれど)。でも、唯一恐いのは喪失だけが永遠であることだ。私が得たものが全て滅びても、私が築いたものが全て滅びても、私自身が滅びても、私が喪失したという事実だけは永遠だからだ。死こそが最終的な勝利者であるとは誰の言葉だったか。

在るということ、在ったということ、それがたまらなく哀しくて恐ろしい。