トラックバックの想定する受益者

トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突 」の分析は非常に興味深い。この記事では「相手へのリンクの必要性」と「内容の関連性」という軸を中心に、ブロガーを4つの文化圏に分類している。

これと似てはいるのだけれど、私が考えるのは「誰のためにトラックバックするか」である。

4つの文化圏

前記の記事に従えば私は"言及リンク文化圏"の住人で、ただし"関連仲間文化圏"がもたらす価値も分かるので、極端でなければ不愉快には思わない。ただ、文中で「 CODY スピリッツ!:ライブドアブログのトラックバックスパム防止策導入についての文句をローゼンメイデン風に書いてみる 」から引用されている

このブログのローゼン記事平均TBは60ぐらい、響鬼記事に至っては100を越える日もあるわ

という世界は、はっきり言って理解の域を超える。あまりにも数字が異様で文字どおり目を疑った。何か誤読してはいまいかと思って、文章を遡ったりそちらのブログの他の記事を見て確認したりしてしまった。

こういった私のスタンスというのは、「 このサイトについて 」に書いたような私のWeb原理主義的なところに基づくものだろう。無断リンク論争の昔から、技術者の文化と(アニメ・コミック)オタクの文化は大きく隔たっている。オフラインではその両方の文化に片足ずつ突っ込んでいる私だけれども、ネットワーク上の慣習に関して言えば完全に技術者サイドに寄る。

トラックバックの目的

さて、自己分析はこれぐらいにして本題に入ろう。「文化衝突」記事おける4つの類型は、簡単に言えばトラックバックの目的を次のようにとらえているものと考えられる。

  • 言及リンク文化圏

    相手の記事への言及を通知するため

  • 関連仲間文化圏

    相手の記事に"関連する"言説の存在を通知するため

  • ごあいさつ文化圏

    あいさつ。一報。

  • spam文化圏

    宣伝。宣伝。宣伝。

目的という見方をすると"言及リンク文化圏"と"関連仲間文化圏"はもっと連続的であってよさそうであるのだけれど、実際には"言及リンク文化圏"の態度は峻厳で、類型図の中では"関連仲間文化圏"に対して「言及もなしにトラバしてくるなよ spam野郎め」と書いてある。

トラックバックの想定する受益者

ここで、もう1つ視点を導入したい。誰のためにトラックバックするかである。

読者のため

私などがトラックバックを打つのは、読者のためである。読者に価値をもたらすことによって結果的に自分の書いた文章の価値を高め、ひいては自分の名誉を高めるというのも、勿論意識していないといったら嘘になるのだけれど、でもそれは「良いコンテンツを提供する」という上位の目的を通して間接的に目的されているに過ぎない。

技術者の文化にとってはあまり違和感の無い考えではなかろうか。私達は当然のように、何かに悩んで解決法を見付ければそれを公開する。カーネルをビルドすればレポートを書き、パッチを書けばレポートを書き、イベントに行けばレポートを書く。また自分が困ったときには他人がそうやって書いたレポートの御世話になっている。どうしてだか普段は深く考えないけれども、そういう文化に育っているのでとにかくそうするものだと思っている。そして、自分のレポートが誰かの役に立ったなら嬉しく思う。

この文化からするとトラックバックを打つというのは、言及先の文書の読者に対してさらなる掘り下げを目にする機会を提供することであり、結局単方向リンクを張るのと同様の「よりよいコンテンツを提供するための活動」の一環にすぎない。

今単方向リンクと言ったけれども、トラックバックを双方向リンクの実装と捉えるweb技術者的視点はこの文化と深く関連しているように思う。技術者の見方では、トラックバックとは、ハイパーテキストな世界における真の双方向リンクを、単純化によるwebの普及と引き換えに失った原初の力を、今、現実的な方法で取り戻すための実装であるといえる。 トラックバック開発者の考え も比較的これに近いものであるように思う。

トラックバック先執筆者のため

トラックバックを送ることにより、送信先記事の執筆者に自分の記事の存在を通知できるという副作用がある。いや、実装された時点では副作用だったかも知れないけれど、「関連仲間文化圏」「ごあいさつ文化圏」ではそれは既に主作用になっているのではないか。(計算機屋の語彙では副作用ってネガティブな意味ではないので念のため)。

無断リンク論争のころのリンクに際しての御挨拶の慣習、相互リンクという慣習、そして現在の、トラックバック返しが行われるという慣習。これらから考えても、"関連仲間文化圏", "ごあいさつ文化圏"がコンテンツと同じかそれ以上に、相手側にいる"人間"に着目して技術を用いているということが分かる。少なくとも送信先ブログの執筆者だけではなく、そこの常連読者を加えて、「相手の側の特定/少数のためのトラックバック」と考えればこの考えは間違ってはいなそうだ。

こう考えると、"関連仲間文化圏"と"ごあいさつ文化圏"が比較的仲が良いのも自然である。それらはトラックバックの意義について文化を共有しているからだ。技術者の間の緊密なコミュニティの中には"関連仲間文化圏"に屬する考えの人がいるのも自然である。視線が特定少数の人間を向いている点でコミック系コミュニティと同じだからだ。

自分のため

語るべきは多くないけれども、ある人はただひたすらに自分のためにトラックバックを送信する。ページランクを上げるために、集客のために。"spam文化圏"は完全にこの類だろう。

送信先の不特定多数の読者を意識しているという点で「読者のため」に近いと言えなくはないけれども、そこには公共に価値を提供するという考えは無い。

まとめ

「文化衝突」記事がその行動様式に着目して4つの文化圏を見事に描き出すことに成功しているのに対して、本論では完全な類型化は提供できない。「読者のため」と「相手のため」を共に意識している人だって多いだろうし、幾らかでも自己顕示欲のある人ならば、大手サイトにトラックバックするときには必要があってする場合でも、まったく「自分のため」を意識しないままではいられない筈だ。

しかしながら、「 トラックバックは「アクセスを奪うもの」という意識の有無 」という視点に、「(不特定/多数の)読者のためという価値観と(特定/少数の)相手のためという価値観の衝突」という視点を加えれば、トラックバックという技術の使用文化をめぐる衝突を解きほぐしていくのに僅かながら役に立つのではなかろうか。

追記:2006-01-14

リンクに対する寛容さと、トラックバックに対する寛容さは逆比例する と言う予想(かず予想)。賛成。私の感じている雰囲気に大体マッチする。「 関連仲間文化圏を殺すなかれ 」でも、私は少なくとも、Web原住文化という表現で"言及リンク文化圏" ⊇ "自由リンク文化圏"と無意識に仮定していた。それ以外は「移民」と表現してしまって不明瞭であるけれども。

厳密にいえば、かず予想の反例はいくらでもあるだろうから負の相関とでもいうべきなんだろうけれども、そういう重箱の隅はおいといて(といいつつ黙っていられれないのが数学屋の性だろうか)。

本論をもうちょっと進めて各文化圏における「受益者想定の傾向」をインタビューすればかず予想を証明できるかもしれない。