性同一性障害者の海外旅行手続き事例

性同一性障害者は外見ないし各種登録における性別、あるいは名前から類推される性別のどこかで不一致が生じることが多い。このため海外旅行の出入国手続きのように厳格な本人確認を行う際には問題を生じやすい。

また、イスラム圏において性同一性障害者が同性愛者と同一視される可能性は危険である。国によってはイスラム法のもと、同性愛は死刑と定められている。イスラムの一部の宗派はファトワーによって性同一性障害であることが認定された場合に、性別の変更を認めている(らしい)。しかしながら、全てのイスラム国家がそれに従っているとは限らない。更に、法制度とは独立した一般市民の感情となれば尚更である。

さて、話がずれた。私はイスラム圏には決して足を運ぶつもりはないのでそれは問題ではない。しかし、他の問題は依然として私にとっても問題であり得る。今回 RubyConf2009 (サンフランシスコ)に向かうにあたり、各種手続きを行ったのでそれを記録することにする。

結論から言えば、殆ど問題はなさそうである。勿論、特定の係員が何か偏見を持っているという可能性はあるので個別の事例では差異もあろう。しかし、他の性同一性障害当事者も、私と似たような扱いを受けることができれば殆ど不愉快な思いをすることもないだろう。「心配ないっ」

ただ、私の場合はそれぞれの手続きにおいて、手続きが終わった後にわざわざカムアウトして今回の情報を得るために事情を聞いて回ったのでちょっと疲れた。とはいえ、私もそんなことをしなければ特に面倒な思いをすることはなかったろう。今後、他の当事者が私と同じ苦労をする必要はないし、しないで済むと言える。

なお、私の場合は写真付き性別記載無しの身分証明書である自動車運転免許証が大いに役立った。

状況

私はMtF-TSである。日本精神神経学会性同一性障害 に関するガイドラインのもと、「性同一性障害」という診断を受けた。その元で第2段階(ホルモン療法)にあり、SRSは受けていない。

現在の日本の 性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律 は性別変更の要件としてSRSを求めているから戸籍では男性と表記されている。

別ページ にあるように、名前は性同一性障害を理由として変更した。この結果として女性と取れなくはない名前になっている。

パスポート申請

ここで幾つかの性別が問題となり得る。

  • 戸籍上の続柄から演繹される性別(戸籍の性)
  • 外見から判断される性別(外見の性)
  • 名から類推される性別(名前の性)

例えば、パス度が高い場合、

  • 戸籍の性を変更していない場合は本人の外見と書類が一致しない
  • 名前を変更していない場合は名前と本人の外見が一致しないかもしれない。

また、名前を性自認に合わせて変更した場合、名前と戸籍の性が一致しないかもしれない。

戸籍抄本取得

パスポート取得にあたり戸籍抄本と、(住基ネットを利用しない場合は)住民票が必要である。 ここで、最近では不正な使用を防ぐためにこれらの書類の取得に際しては本人確認が厳格になる傾向がある。本人であるか、もしくは本人の委任状を持っている場合、または特殊な職権による場合を除いては取得が難しいわけだ。

さて、では私の場合はどうであったろうか。実際のところ、お役所仕事というか、免許証の写真と本人の外見、および免許証の氏名と取得対象書類の氏名がそれぞれ一致することしか確かめていないそうだ。

あり得る1つの可能性として、健康保険証のような写真のない身分証明書を使用する場合には問題があり得る。この場合には、戸籍の性あるいは名前の性と、外見の性とが一致せずに代理人である可能性を疑われる事もあるだろう。

パスポート取得

パスポート取得に当たって、次の性別要素が存在する

  1. 戸籍の性

  2. 名前の性

  3. 外見の性

  4. 証明写真の外見の性

  5. 申請書類に記載する性

まず2つの部分を一致させる。これは自分の意志で一致させることができる。

  • (3)と(4)は一致させるべきである。この不一致は一般にも申請を却下される要因であり得る。
  • (1)と(5)は一致させなければならない。さもなくば却下されよう。性別の変更を経ていない当事者の場合、性自認に一致しない性を自称させられるのは不愉快な体験ではある。しかし、所詮は書類と割り切ってチェックマークを付けよう。

  • , (2)および(3)の不一致については戸籍抄本とほぼ同じである。違うのは本人確認が厳格であることぐらいだ。

本人確認のプロセスを担当の方に伺った。ここはお役所仕事のありがたさというか、要は書類が繋がっていればOKであるらしい。

名の変更履歴

私の場合、今回は失効したパスポートを返却もした。ここで、失効したパスポートは14年前のもので、 名の変更 の前である。 そこで、何か名の変更の繋がりを証明するものを求められた。 失効パスポートと提出した新しい名前の住民票と名が一致しないわけだ。また、戸籍抄本に名を「裕貴に変更」 とは書いてあるが、元の名前は書いていない。

先のリンク先にあるとおり、私は名の変更の際に家裁審判の謄本を大量にコピーしてある。そこでこのコピーを提出した。こういう事があるから、名の変更の際には地元の役所に提出してしまう前に審判謄本をコピーしておくべきである。 あるいは、変更前の名前の戸籍謄本でも良いらしい。変更前の住民票でもいいかもしれない。私はどちらも念のために、名の変更手続きの際に変更前のものを取得してある。

性同一性障害者の性別の取り扱いの特例に関する法律 に基づく性別変更手続きをしている場合、同様にして家裁審判謄本のコピーと変更前の戸籍謄本を保存しておくと失効パスポートの性別と申請内容の性別の不一致を解決できるかも知れない。

本人と申請内容

さて、名の変更履歴・失効パスポートの名前・申請内容の不一致は解決した。残りは申請内容が紛れもなく本人であることの確認である。代理人による申請の場合は委任状が要るし、発行を受けるのは本人しかできない。

写真付き身分証明書

これは身分証明書で片が付く。私の場合は運転免許証に写真があって、この写真と本人の外観およびパスポート申請に使用する証明写真はたやすく一致する。また、運転免許証に記載された氏名および住所と申請内容は一致する。これによって申請しに来たのが本人であると確認できた。

詳しく聞いてみたところ、必要なのはこの一致なのだという。書類が一致していれば個人の事情は詮索しないというのはお役所仕事のありがたさである。地域や係官にも依存するであろうが、私の申請した埼玉県パスポートセンターではそうであった。

写真なしの場合

問題は、写真付きの身分証明書を持っていない場合である。この場合、埼玉県の申請案内によれば身分証明書が2通(うち1通は公的機関の発行するもの)を提示しなければならない。 このとき、申請内容の氏名および性別と身分証明書の記載が一致することが必要である、という。また証明書と申請者との一致は証明書を2通持参したという事実から類推される、という。

受け取り

パスポートの受け取りは代理人が行うことはできない。ここで再び本人確認が問題となる。しかし、上に述べたのと同様であると考えられる。私はまだ受けとっていないので、後日受けとったら追記する。

入国審査

入国審査でパスポートの性別と本人の外見が一致しないことによって問題になることはあるだろうか。 アメリカ大使館に問い合わせてみた。特に上部に繋がりがあるわけでもなく一般の窓口に問い合わせたので、あくまでも担当者の個人的見解であるとの事であるが、一応の回答を得ることができた。

結局のところ、必要なのはパスポートの写真と本人の外見の一致であるということだ。書類が妥当であればそれで問題ない。そこは日本のパスポートは信頼性が高いということもあるだろう。有り難いことである。

後日、実際の様子を追記する。

外見と診断書

外見の性とパスポートの性別記載が問題になることはないそうだ。「書類が正当であれば、問題になることは考えられない」という。とはいえ、私は念のために塚田攻医師にお願いして、Gender Identity Disorderである旨の英文診断書を作ってもらってある。主に入国審査を想定して、外見と書類の性別が一致しないのは正当なことであると書いてある。

ちなみに、この診断書のコピーはパスポート申請にあたっても補足資料として後から添付した。しかし、これは実際のところ必要なかったろう。

蛇足

次の点は注意する必要があるが、一般の旅行者と同じであって性同一性障害に特有の問題ではない。

  • アメリカへの短期入国に際してはESTAの登録が必要
  • アメリカへの短期滞在時は復路の航空券の所持を確認する場合がある。
  • 往路または復路の航空券の名義とパスポートの記載は一致しなければならない。特に、名前の綴り揺れに注意を要する。

出国審査

出国審査については調べていない。入国審査と同様であろうと思っている。

航空会社と航空券

航空会社とのやりとりにおいて幾つか性別が問題になる面がある。

  • パスポート
  • 航空券 - "MR"または"MS"と記載されている
  • 会員登録等 - 航空会社独自の会員サービスなどの登録における性別の入力

これらは戸籍の性の変更をしていない場合に問題となる。 航空券の取得にあたって、性自認に反する性別を名乗らされるのはやはり不快である。会員登録の類も同様である。のみならずこれらは空港や機内での各種サービスに当たり担当者が性別に応じた配慮をする際に何か問題になる可能性もある。まずは航空券について話すことにしよう。

とりあえず、今回利用する全日本航空に問い合わせた。後で他の会社にも問い合わせたら結果を追記する。

全日空

全日空には、カスタマーサポートに問い合わせて「鈴木」さんという方から全日空公式見解を伺うことができた。

全日空としては、パスポートの記載と航空券の記載は厳格に一致しなければ困るとのことである。 一般的に問題になるのは綴り揺れだが、"MR"/"MS"の性別表記も同様だそうだ。この表記がパスポートと一致しないと入国を拒否されることがある。 そこで、搭乗時にパスポート(やESTA)を確認し、一致しない場合は搭乗を拒否される。

この拒否は、単に飛行機を降りてから書類不備に気づくような旅客への親切なサービスというわけではない。不一致が入国審査で問題になった場合、相手国から全日空が責任を問われるものなのだそうだ。 そういうわけだから、ここはパスポートと一致させて航空券を取得するしかないだろう。

ネット上では性自認に合わせた(パスポートとは異なる)性で航空券を取得して問題なく搭乗/出入国できたという報告も見かけた。しかし、全日空の責任となると言われては無理を通すわけにもいかないだろう。私は今回は"MR"記載で航空券を購入した。

何か注文を付けるとすれば日本及び行き先の政府である。両政府がパスポートと航空券の性別不一致を問題ないと見なせば全日空としては問題はないのだろう。 何か、適切な窓口へのつてがあったら外務省や米移民管理局に問い合わせたい。しかし、今のところ当てはない。

搭乗

搭乗に際しては、搭乗者が航空券の名義人本人であることが求められる。 しかし、航空券の"MR"/"MS"記載と本人の外見が一致しないことで他人であると判別されることは無かろうか。私は銀行の手続きなんかではよくこれで引っかかる。

実際のところ、性別不一致のようなまれなケースを一々意識してチェックしていないのではないだろうか。先の、パスポートと航空券で不一致でも搭乗できたというレポートからしてもそうだろう。搭乗の際に"MR"/"MS"表記と外見の不一致で不愉快な思いをするケースはほぽないと想像する。

ただし、気になるようであれば事前に連絡しておくことを勧められた。性同一性障害という事情を説明すれば話は分かるので、そうすれば不愉快な思いをさせないように手配することは可能だそうだ。 搭乗の際の係に話を通しておくように旅行代理店や予約窓口に依頼すると良い、という。

航空会社と会員登録

次に航空会社の会員登録について触れよう。

全日空

全日空ANAマイレージクラブという会員サービスを行っている。この会員登録には性別記載が存在する。 この性別記載と性自認、性別記載と外見、あるいは性別記載と航空券が一致しないことでそれぞれ問題が生じ得る。

性自認との不一致

まず、登録と性自認の不一致を考えよう。ANAマイレージクラブは他者の会員サービスと提携していて、会員情報を共有している。この際に性自認と不一致であると、提供されるターゲティング広告の類が消費スタイルと合致しない可能性がある。これは双方にとっての不利益である。

そこで、私は「 性同一性障害者の性別記載について。実例と考察 」にあるように、私は商取引や関連する会員登録における「性別」とは消費スタイルにおける性別であると解釈している。相手が合理的な理由と整合性のあるモデルと共に性別の定義を示さない限り、私は会員登録の類は性自認に合わせて登録する。

外見との不一致

次に、登録された性別記載と外見の不一致を考えよう。仮に私が性自認と反対の、パスポートなどに記載された性別で会員登録していたと仮定する。 会員情報は特典ポイント(マイレージ)を加算するような様々な局面で参照され得る。ここで外見と登録内容が不一致であると、カードの不正使用を疑われる可能性がある。

マイレージ加算を航空機搭乗以外の様々な局面でも得られるのが、最近のこの手のサービスの売りである。実際、私もそれ目当てでカードを作っている。そのカードを利用する度に不正使用を疑われてはかなわない。その意味でも、やはり性自認に一致させるという私の登録のやり方は商取引における双方の幸せのために有益であろう。会員登録は性自認に一致させるのがよい。

航空券との不一致

全日空のweb予約サイトは会員向けに、一々航空券の名義を入力しなくても済むよう、登録情報を引き写すサービスを提供している。これは他の会社も同様である。

ところが、この場合は性別を再入力することができない。そこで、もし性自認とパスポートが不一致の(=戸籍の性の変更をしていない私のような)場合を考えよう。先に述べたように会員登録は性自認に一致させるのがよい。一方、航空券はパスポートに一致させなければならない。 このため、私はこのサービスを利用することができない。

マイレージクラブの窓口に問い合わせた限りでは、会員登録の性別を性自認に一致させる私の判断は特に問題ではないようである。一方、サービスを利用できない問題についてはいかんともしがたいようであった。 一度ログアウトして非会員として航空券を取得することを勧められた。

つまり、パスポートと性自認が一致しないとき、この手の航空会社会員情報登録における選択肢は2つである。性自認に合わせて登録して、国際線航空券予約における会員としての利便性の一部を諦めるか。それとも、日常の買い物において面倒を生じる可能性を受け入れるか。

私は前者を選ぶ。その方がまだしも面倒でないし、性自認と記載が一致しているので無駄に不快になることがない。また、国内線航空券においてはパスポートや戸籍と性が一致している必要はないから、国内線では普通に利便性を得ることができる。

マイル加算

航空券の情報と会員登録情報が一致しない限り、搭乗時のマイレージ加算は受けられない。 全日空のシステムはどうも性別項目も一致をチェックしているようである。 *1 この点については、別途マイレージクラブのサポート電話番号などに連絡して事情を説明すれば加算可能であるそうだ。詳しいことは実際にやってみてから追記する。

結論と補足

名前および性別の変更を経ていれば(元)性同一性障害者とて大した問題はなさそうだ。 以下では、そうでない私のような場合について述べる。

  • マイレージクラブの類は性自認通りに登録するのが良いのではなかろうか。
  • 名の変更の際には家裁審判の謄本のコピーを保存せよ。また、変更前の戸籍謄本と住民票を保存せよ。

    • ちなみに性別の変更の際もたぶん同様
  • 写真付き身分証明書があると大体快適である。

    • 運転免許のない人は写真付き住基カードを作成すると良い。そのカードを作成するときが、お役所で性別がらみで不愉快な思いをする最後だ。以後は快適である。
  • パスポート申請は戸籍通りに記載する

  • 国際線航空券はパスポート通りに取得する。

    • 会員でも、ログアウトしてから予約する。 マイルは後で連絡して加算する。
    • 国内線は性自認に合わせても無問題。たぶんそっちの方が面倒が少ない。
  • 航空会社は、事前に連絡を入れておけばそれなりに対応してくれる。

    • 行きつけの旅行代理店とか作って便宜を図ってもらうと不愉快な思いをすることがないかもね。
    • つーか、前から旅行業管理者資格は興味あってちょっとは囓ってるし、勉強して私がやろっかな。ささやかな商機。
  • GIDの英文診断書があれば念のためにはいいかもしれない。でも、先進国ならたぶん不要だろうと塚田医師は言っていた。

*1:私、この手のシステム書いてたことがあるけど、性別までチェックしてたっけな?