性同一性障害記事を書くこと

性同一性障害関連の記事を書く度に調子を崩す。

要するに、私にとってこれだけが問題なのだ。性別違和に自己同一性を脅かされること、そこから意識をそらして生活する習慣を一旦停止して問題を見つめる行為。それが私の抑うつ症状や不安症状やの源である。ま、分かり切ったことだけど。

今まで何回か、回復して、再発して。再発した中でも改善して、悪化して。一進一退。 再発のきっかけはやはり「記事を書くこと」だ。記事を書いて、悪化して、為すべきことを為せない状態になる。だから、私が情報を発信することは私の社会適応を妨げている。

けれども、情報を発信して後に続く当事者の役に立つこと。それこそが私の目下の第一の目的なのだ。そのためならもう少しだけ生きてみても良いと思ったのだ。この目的を捨てたら、私はまた元のように得たいものもなく、ただ絶えざる性別違和の苦痛に苛まれる以外に意味を持たない日々を過ごすことになる。喜びはあるだろうけれども、全部の喜びを捨ててもこの苦痛から解放されるならそれで構わない。人生の喜びはこの苦痛とは釣り合わない。

だから、不利になると分かっていても私は記事を書くだろう。それはそれで喜びには違いないし。それで生きていけなくなったら、それは仕方がないことだとずっと前のあのときに決めたのだ。