非モテ論を参照しつつhereticsをqueer化する計画

ソーシャルブックマークシステムで[heretic]というタグを使ってる。社会的な権力構造とかとの絡みが強くて、よく[権力]タグと一緒に使う。

森奈津子Ali Projectと、私の好きなこの両者の表現の上に私の中に"heretics"のニュアンスがあって、その意味で使ってきた。でも、これはqueer studiesにおける一番広い意味での"queer"に近いんじゃないかという気がしてきた。

私が"heretics"というとき、背景にはロココに対する反動としてのゴスがあって、批判的視点があって、cannonの世界の中にいる人々の安息への認識、尊重がある。この意味で、方向性はqueerに近いけれども、出発点は微妙に異なる。原意としてはqueer=hereticではないのだもの。

宗教学では自らをhereticと呼ぶ人はいないという認識なのだとどこかで読んだ覚えがあるけれど、そもそも自らをqueerと呼ぶ人もいなかったわけで、そこでqueerという言語概念の裏にある権力と、無自覚な収奪構造を明らかにする過程でqueerの自称が起こってきたのであると認識している。

であるとすれば、queer概念が拡大されてより広範な問題を明らかにしていく一方、別の地点からの拡大としてhereticの拡大をもっと積極的に行ってもよいのではないかという気がした。社会保障の視野の外側に取り残された人々は、今の語感ではqueerよりはhereticsであろう。こういった問題をより速やかに顕在化する1つの方法として、queerがしたように、hereticsもまたそうするべきであると考える。

はてなブックマークなんかでよく目にする「非モテ論」なんかは、あれは正にfeminismとqueer studiesがやってきたことの鏡像だと思うのね。あれは、feminismの中で取り残され、時には「逆差別」対象たるまでになってしまった男性の立場からの公民権運動かもしれない。つまり、インフレーションから取り残された宇宙ひもの中でまた別の相転移が起きてるようなもの。

であるからして、feminismが一応の成果を見せ、その成果が当り前になっているが故に「なんでそんなに五月蝿く声を挙げるの?」という無邪気な質問すら出てくる世の中になった現在、feminismはもうインフレーションは脱して、あとは通常のハッブル膨張でいいわけですよ。あとは、heretics, 非モテのインフレーションが求められていると思ったりした。

これからはqueerを追いつつ、heretics, 非モテですよ【訳分か】