情報発信の自粛を自粛せよ

トラックバック論争 を通じて、トラックバックを控えようとか、くだらない記事を書くのを止めようとかいう人が出てきた模様。

ほらっ。ほらっ。ほらっ。これを私は恐れてたのさ。この前書いた 関連仲間文化圏を殺すなかれ もその恐れの1つだし。

トラックバックを「 読者のための情報提供 」とするネット原理主義的立場からすると、確かにくだらないトラックバックは控えるべきだ。私もその立場に近い者の1人として、単なるメモや同意表明でなく、いくらかでも論を発展(もしくは反駁)できたという自信がなければトラックバックは送らない。その昔、なんか血迷って「Matzにっき」にくだらないトラックバックを送ってしまったのを今でも恥じている。

でも、それは一つの文化圏のやりかたに過ぎないじゃないか。そんなの無視して、関連仲間文化圏においてその人たちのやりかたで人と人がつながって何が悪い? 悪くないよ。悪くないから、だからそれが モヒカン族の利益 と衝突する局面ではどうしたものか、私は「関連仲間文化圏を殺すなかれ」で悩んだんじゃないか(ちなみに、コミュニティを形成してトラックバック打ち合ってるようなのは行列の対角化過程で消去できそうな気がするけれど、Pageさんそのへんはどうなってますでしょうか。線形代数苦手)。

個人の日記を読ませるのは迷惑 だろうか。トラックバックに関していえばそうかもしれない。でも、自分の領域でリソースを提供するのは迷惑じゃないよ。誰がどんな価値を見出すか、それは書き手が決めることじゃない。もしかしたらそういう私的事件の羅列だって、総体として限りない価値があるかもしれないじゃないか。……という話を以前「 私的事件の垂れ流し 」と題して書いた。

どうか、情報の創出と発信を止めないで欲しい。思想的立場から、私は自由で多様な思想・表現を望む。研究的立場から、ブログ/トラックバックを通じて蓄積されてきているメタデータの海を魅力的に思う。

あなたにとってどんなにくだらない情報でも、それを書き上げ公開するつもりがあるならば、ぜひそうして欲しい。誰かには貴重な情報かもしれない。公開のやりかたが他の文化圏とぶつかるならば、やりかたを変えよう。あるいは妥協点を探ろう。でも公開は止めないで欲しい。