関連仲間文化圏を殺すなかれ

"関連仲間文化圏"を殺そうとしてはならない。でも、ではどうするべきか。難しいところだ。

一連の「トラックバック論争」の中で「 文化圏の違いを理由にしてもtrackback spamは許されない 」という記事を拝見した。私は"言及リンク文化圏"の住人であるし、賛成か反対かと二者択一を迫られれば賛成なのだけれども、何か違和感を感じた。

経緯

トラックバックをめぐる4つの文化圏の文化衝突 」あたりを発端として、言及なしトラックバックの是非についての話題が盛り上がり、「トラックバック論争」と言われ出したらしい。私も「 トラックバックの想定する受益者 」という記事で、「誰のためのトラックバックか」という視点からの分析を試みた。

冒頭で挙げた「文化圏の違いを理由に……」記事では「 ライブドアブログのトラックバックスパム防止策導入についての文句をローゼンメイデン風に書いてみる 」のコメント欄における一連のやりとりを取り上げて、"関連仲間文化圏"からの

begin blockquote

要するに文化圏の違いなんです!

「自分たちは関連仲間文化圏だから言及リンクなしにトラックバックを送信しても良いんです」という事にはならないと思うのです。

(かなり中略)

文化圏分類だけで自分の行動を正当化しちゃあいけないよ

言及リンクのないトラックバックはお断り、と注意書きしている所には送らないようにする、ではなくて、「言及もリンクも不要。スパム歓迎!」と明記しているBlogにだけ送るように心がけるべきだと思います。

とも言っているが、ここに私の感じる違和感が集中する。これを実行しようとすれば、"関連仲間文化圏"の生態系は崩壊しかねない。「本来と違う使いかたをしておいて何をいうか」「新参者が勝手な真似をしておいて、我儘を言うな」と考えるかもしれないけれど、私はせっかく形成されつつある豊かなコミュニティとメタデータの蓄積が失われることを惜しまずにはいられない。

統計データは持っていないし、実際のところ「ローゼンメイデン風」のコメント欄で とおりすがりさんが指摘するように、"関連仲間文化圏"は「100万人の内の何パーセントでしょうか」という疑問はある。けれども、新旧・多寡の問題ではなく、

  • 一個の異文化を殺してしまうような押しつけは問題であろう
  • 思想・表現をより自由に、豊かにしていくためには、"関連仲間文化圏"は有益になりうる

と感じるのだ。「 エイプリルフール企画 『コクジョウ』 復刻とか、『アカイイト』 ドラマCD通常版とか、感想系記事とトラックバックスパムというものについての考察(3)とか 」は、"言及リンク文化圏"の住人の思想は捉えそこなっているように思うけれど、技術ために文化があるのでは無いという点で

トラックバックリングを形成している人たちは、実質的にこのシステムを最も有効利用しているグループのひとつだと思う

正直、トラックバックリングを構成したことがない人が、このやり方そのものを批判するのはやめて欲しいです。

というのは正しいと思う。トラックバックリングってよく分からないけれど、そこに確たる文化が形成されているのは分かるもの。そして、"言及リンク文化圏"が「明記しているBlogにだけ送るように心がけるべき」とまで言ってしまうと、

  • 技術的解決を図ることができるのに、どうして無用に強圧的態度に出て文化摩擦を引き起こすのか

と感じる。

まとめ

勿論、本来の使用法であり、原住文化である"言及リンク文化圏"こそ、確実に守られねばならない。だから、"関連仲間文化圏"が成長しすぎて"言及リンク文化圏"への侵蝕が目に余るようになってくれば、また対応しなければならないだろう。

  • 移民が原住民に対して文化を押しつけるのはいかがなものか

というのは確実なのだから。そして、"言及リンク文化圏"の側が自衛するために、今回ライブドア導入した トラックバック受信における選択肢(デフォルト設定の是非は別として)は良いことだ。 言及リンクのない TrackBack ping を弾くプラグイン も良いものだ。そして、"関連仲間文化圏"の「要するに文化圏の違いなんです!」を無条件に肯定するわけにはいかない。プラグイン導入という手間を原住民側に掛けさせるのはやはり、本来的には好ましくないからだ。

しかし、だからといって"関連仲間文化圏"を殺しかねないような、原住民側の「配慮の要求」もまた、無条件には肯定しかねる。今回は、

  • 思想・表現をより自由に、豊かにしていくために
  • 技術的解決を図ることができるのに、どうして無用に強圧的態度に出て文化摩擦を引き起こすのか

という理は移民の側にある。

  • 自分達の文化圏でやっているだけならともかく、一個の異文化を殺してしまうような押しつけは問題であろう

という理は双方にある。だから、簡単にどうすればよいと結論づけられるものではない。私に提案できるのはぜいぜいこんなものだ。

そんな提案しかできない。ただ、ネットワークに古くより伝わる「送り出す時は厳密に、受け取る時は寛容に」の精神に基づき、できるだけ共存できる道を探せたらよいと願う。