情報処理自動化の進む社会における労働について

ただの思い付きのメモ。この前、知人と電車の中でシステム屋さんがユーザー企業に提供すべきものは何かと語ってみたりして。

下流社会快楽主義の哲学 を読み比べて思ったことでもあるのだ。この両書の比較についてはまた別に書く予定。

  • 仮説

    リスクのない労働は本質的に自動化可能である。どれだけ専門的知識を要するものであったとしても、そこにリスクがないならば専門的知識の情報システム化によって置換可能である(既に会計知識はコンビニ店員の手から取り上げられてるしね)。

  • 仮説

    自動化の進む社会に残る低リスク労働とは、知能のないシステムに対して知能を提供するためのユニットであり、多くはMan-System Interfaceに属する(沼正三の描く有魂機械に似てるね)。人工知能の実現されない間の代替であって、価値の高い労働ではありえない。これに似た記述をどっかで見た気がしたけれど、この前訳した Captcha だ。囮サイトを使った突破法のところ。

  • 仮説

    高価値な労働が高リスクであることは、労働階級、すなわち生存に労働を必要としかつ労働可能であるような階級における所得の均等化圧力として作用する。労働階級内部の分化を阻害する。

  • 仮説以前の思い付き

    伝播投資貨幣 は高リスク高価値労働者にとってのリスクの分散をもたらし得ないか。